Chapter 1

脳腫瘍Brain Tumor

病態

腫瘍とは本来体を構成する細胞が本来の機能を失って無制限に増殖する状態を指し、多くの場合は腫瘍の塊を形成して発育増大します。

「良性」と「悪性」

腫瘍の「良性」「悪性」とは腫瘍の増殖能、周囲の組織に対する浸潤傾向、遠隔臓器への転移能の有無により決まり、増殖のスピードが速く、 周囲組織への浸潤的発育や遠隔臓器への転移をするような性格の場合、比較的短期間で致命的な状態になり「悪性」ということになります。

脳腫瘍における「良性」と「悪性」

頭蓋内には中枢神経系の脳組織以外に、脳を包み込んで保護する硬膜や神経を包み込む神経鞘といった、中枢神経系以外の組織も多く存在します。 頭蓋内に発生する腫瘍はすべて「脳腫瘍」と呼びますが、 脳腫瘍の良性・悪性の区分は主に腫瘍が発生した組織が脳組織そのものから発生した場合、周囲への浸潤傾向が強く「悪性」となり、脳組織以外の硬膜や神経鞘などの支持組織から発生した場合、浸潤傾向は少なく「良性」となります。

神経膠腫(悪性)
神経膠腫(悪性)

左側頭葉から島皮質の内部に位置している。神経膠細胞から発生した神経膠腫と呼ばれる、代表的な悪性腫瘍。 腫瘍は正常脳組織との境界を持たず、周囲を破壊しながら浸潤性に発育・増大している。

髄膜腫(良性)
髄膜腫(良性)

前頭葉と側頭葉の境界となるsylvius裂に接し、蝶形骨硬膜から発生した髄膜腫と呼ばれる、代表的な良性腫瘍。 正常脳組織とははっきりとした境界を持ち、左側頭葉は腫瘍の増大とともに圧排され変形している。

ただし、頭蓋内は容積が限られていますので、「良性」といえどもある程度の大きさになると、隣接する中枢神経系組織の機能が低下したり、内圧が高まることによる頭蓋内圧亢進症状を呈して、最終的には意識障害や生命に関わります。

「原発性」と「転移性」

さらに、脳腫瘍は発生した元の組織が頭蓋内を構成するものの場合「原発性脳腫瘍」とよび、頭蓋外(腹部内臓が多い)に発生した悪性腫瘍が転移した場合「転移性脳腫瘍」と呼び区別します。

治療

上述のごとく「良性」「悪性」を区別する目的は、根治的摘出が可能か否かの区別のためです。 「良性」の場合、腫瘍組織と脳組織は発生が異なりますので、明確に境界されています。腫瘍組織のみを摘出することで治癒せしめることができます。

「悪性」の場合、腫瘍組織と脳組織の発生が同一ですので、はっきりとした境界がありません。腫瘍の摘出とは「腫瘍を含む脳の一部を一緒に切除する」ことです。機能的に重要な部位に存在する腫瘍の場合は切除できず、細胞レベルでは必ず残存しています。
手術のみで治癒は得られず、再発・増大に対する制御のための後療法(放射線・化学療法)と組み合わせて治療をすすめます。

以下では脳神経外科で扱う代表的な原発性脳腫瘍を記載します。各論は一冊の本になってしまう程の膨大なものです。

髄膜腫Meningioma

病態

代表的な良性脳腫瘍で脳腫瘍全体の約30%を占めます。病変は脳を包み保護する硬膜組織から発生し、隣接する脳組織を圧排変形させながら大きくなります。「良性」ですので腫瘍組織と脳組織は明確に境界されており、根治的な摘出により治癒せしめられます。

発育はきわめて緩徐ですが徐々に大きくなり、隣接する脳組織を圧迫することにより徐々に神経機能の低下が起こります(神経脱落症状といいます)。

機能局在

脳組織は部位により身体機能を分担しています(機能局在といいます、例えば右頭頂葉には左半身の運動を司る運動野、左側頭葉には言語理解を司る感覚性言語野など)ので、腫瘍の存在部位により神経脱落症状は異なります。

したがって、髄膜腫は病変の存在部位を付記することで分類します。

主な分類

大脳:円蓋部髄膜腫、大脳鎌髄膜腫etc
頭蓋底:蝶形骨縁髄膜腫、鞍結節部髄膜腫、錐体斜台部髄膜腫etc
後頭蓋窩:小脳橋角部髄膜腫、大孔髄膜腫etc

円蓋部髄膜腫
円蓋部髄膜腫
大脳鎌髄膜腫
大脳鎌髄膜腫
鞍結節部髄膜腫
鞍結節部髄膜腫
小脳橋角部髄膜腫
小脳橋角部髄膜腫

症状

上述のごとく発育はきわめて緩徐ですので、無症状で経過し経過観察を行うケースが多いです。 ある程度の大きさになり、隣接する脳組織が圧迫され機能低下が起こると、神経脱落症状をみとめるようになります。 神経脱落症状は上述のごとく、脳の機能局在のため、腫瘍の存在部位に依存して様々です。 おおまかには、

  • 大脳に隣接する円蓋部髄膜腫や大脳鎌髄膜腫では麻痺・失語症といった大脳皮質の機能低下にともなう症状やけいれん発作
  • 頭蓋底に存在する蝶形骨縁髄膜腫や鞍結節部髄膜腫では視力・視野症状、錐体斜台部髄膜腫では眼球運動障害、顔面の感覚障害・麻痺、難聴といった錐体骨を貫通する脳神経症状、脳幹圧迫にともなう片麻痺・感覚障害
  • 後頭蓋窩に存在する小脳橋角部髄膜腫や大孔髄膜腫では難聴・顔面麻痺、下位脳神経障害にともなう嚥下障害、脳幹圧迫にともなう片麻痺・感覚障害 をみとめます。

「良性」といえども、頭蓋骨の内部の容積は限られてますので、相応の大きさになると、上記神経脱落症状に加えて、頭蓋内圧が上昇することによる頭痛・嘔吐をみとめるようになります(頭蓋内圧亢進症状)。
病変がさらに大きくなり深部構造物に影響が及ぶようになると、麻痺・意識障害をきたし究極的には生命に関わります。

開頭腫瘍摘出術:髄膜腫(左錐体部)Removal of Tumor: Petrous meningioma

頭蓋内の良性腫瘍の摘出術とは、脳組織・脳神経・血管といった正常構造物を解剖学的に温存しつつ、腫瘍との癒着を丹念に剥離して全摘出をめざすもので、一般的に非常に時間を要します。
頭蓋内には上記正常組織が密集しているため、摘出に利用できる操作空間は、開頭を行った骨窓から見える領域のうち、脳葉の間隙や脳と骨の間隙といった、正常構造物の内に元々存在する隙間を利用することになり、操作空間が限られるのも時間を要する理由です。
手術時間を規定する要素は、腫瘍の存在する部位・周囲構造物との位置関係・周囲構造物との癒着の程度です。
手術方法の各論については、腫瘍の存在部位によって違いますので、ここで一律に論ずることはできません。
一例として左錐体部髄膜腫の手術につき説明しますので、良性脳腫瘍の摘出術に関するコンセプトについてご理解の一助になれば幸いです。

頭蓋底髄膜腫に対する経錐体ならびに後頭窩開頭による摘出術

「錐体部」とは「錐体骨」と呼ばれる耳の奥に存在するピラミッド状の骨の脳幹・小脳に面した部位に相当し「頭蓋底」と総称される部位のひとつです。「錐体部」に限らず「頭蓋底」は解剖学的に複雑なため、病態について理解するためには、中枢神経系や頭蓋骨に関する解剖学的な予備知識が必要になります。

「中枢神経系に関する予備知識」で述べましたように脳幹の側面からは左右12対の主に顔面に分布する脳神経が分岐しており、順番にローマ数字でI~XIIの番号が振られています。

  1. 嗅神経(嗅覚)
  2. 視神経(視覚)
  3. 動眼神経
  4. 滑車神経
  5. 外転神経(眼球運動)
  6. 三叉神経(顔面知覚)
  7. 顔面神経(顔面運動)
  8. 蝸牛神経(聴覚)・前庭神経(平衡感覚)
  9. 舌咽神経
  10. 迷走神経(嚥下・内臓知覚)
  11. 副神経(肩の運動)
  12. 舌下神経(舌の運動)

錐体骨は上記脳神経のうちV~XII脳神経が通過しており、顔面の知覚・運動・聴覚・平衡感覚・嚥下機能・舌の運動に関わります。

本症例では腫瘍は左錐体骨と小脳テント下面の隙間に沿い、横静脈洞-S状静脈洞移行部の裏面に及んでいます。
最深部では顔面の近くを司る三叉神経(第V脳神経)、顔面の運動を司る顔面神経(第VII脳神経)、聴覚・平衡感覚を司る蝸牛・前庭神経(第VIII脳神経)に接しています。

錐体骨と脳神経
錐体骨と脳神経
錐体骨と腫瘍
錐体骨と腫瘍
静脈洞との位置関係
静脈洞との位置関係

錐体骨近傍の頭蓋底に発生した腫瘍の場合は、錐体骨の機能的重要性(内部に蝸牛・前庭神経・聴器が存在)、横静脈洞・S状静脈洞の存在のため、直上に骨窓を作成できず、静脈洞を隔てて、2個の骨窓を作成して、分割して摘出する必要があるため手術操作に長時間を要します。

始めに側頭葉の底面から小脳テントを処理して腫瘍への栄養血管を遮断して、腫瘍から出血しにくいようにして、腫瘍の上半分を、奥の三叉神経から剥離しながら摘出します。
引き続き小脳側から腫瘍と小脳、小脳テント、錐体骨、顔面神経、蝸牛・前庭神経と剥離して、全摘出をめざします。

摘出に際しては癒着が強かったり、深部で手術機械が安全に挿入できない部位での無理な操作は行いません。安全な範囲での可及的摘出につとめます。
残存腫瘍に対しては基本的に経過観察を行い、必要な場合は定位放射線治療や再度の手術を検討します。

聴神経腫瘍(前庭神経鞘腫)Acoustic Neurinoma

病態

前庭神経鞘腫は上記第VIII脳神経を構成する前庭神経が腫瘍化したものがほとんどです。

厳密には第VII脳神経と第VIII脳神経は1本の神経の束となって、耳の奥で聴覚に携わる錐体骨の内部の細い骨の管(内耳道)の中を貫通しています。

多くの場合、腫瘍化した前庭神経が束の中で腫大することにより、隣接する蝸牛神経・顔面神経が圧排され菲薄化し、徐々に機能が低下します。

小型の聴神経腫瘍
小型の聴神経腫瘍

腫瘍は内耳道から小脳橋角部の脳槽内にわずかにはみ出る程度

大型の聴神経腫瘍
大型の聴神経腫瘍

腫瘍は内耳道から進展して小脳橋角部の脳槽を充満し、隣接する脳幹や小脳を圧迫している

症状

ふらつきの症状は前庭神経の機能低下によるものですが、前庭神経の機能低下は対側の前庭神経により代償されるため、気づかずに経過することが多いです。
最初に気づく症状は蝸牛神経が障害されることによる、聴力の低下です。
引き続き顔面神経が障害されることにより、患側の顔面が麻痺し表情が非対称になってきます。
腫瘍がさらに大きくなれば隣接する小脳・脳幹の機能が低下し、放置すれば最終的には生命に関わります。

また小脳の中心部には第4脳室と呼ばれる脳脊髄液の通過路があります。病変の増大や浮腫の増強により第4脳室が潰れた場合、脳脊髄液が上位の脳室(側脳室・第3脳室)に貯留し急性水頭症をきたし生命に関わります。

開頭腫瘍摘出術:聴神経腫瘍(前庭神経鞘腫)Removal of Tumor: Vestibular Neurinoma

定型的な手術で、良性脳腫瘍の手術の中でも代表的なもののひとつです。

方法

耳介後方の乳様突起と呼ばれる突起を取り囲む形で、毛髪線ぎりぎりに7cmほどの小切開をおいて直下に500円玉2枚程度の小開頭を行います。

硬膜を切開して直下に小脳の外側面と隣接する錐体骨を露出します。小脳外側面と錐体骨の間の隙間を奥にのぞき込むと、内耳道の入り口に腫瘍がみえます。

厳密には本腫瘍は聴覚を司る蝸牛神経ではなく、平衡感覚を司る、上・下前庭神経のうちの1本が腫瘍化しています。

橋・延髄境界部より分岐する顔面神経は腫瘍の奥を走行していて、手術の初期の段階では見えないことがほとんどです。

腫瘍が大きくなるにつれて、手前を遮る上に、顔面神経を圧排変形させており、多くの場合顔面神経は菲薄化しています。

顔面神経に機械的損傷や過剰な張力がかからないように細心の注意を払いながら、腫瘍を少しずつ切り取るようにして摘出します。

腫瘍は多くの場合、神経の走行に沿って内耳道内に侵入していますので、内耳道の後壁を超音波骨破砕器やドリルなどで削除して摘出のためのワーキングスペースを確保します。骨削除操作の際にも神経の損傷を来さぬよう細心の注意を払います。

内耳道内も同様に顔面神経を損傷しないようにして腫瘍を少しずつ切り取るようにして全摘出します。

血管芽腫Hemangioblastoma

病態

比較的稀な良性腫瘍です。ほとんどが小脳に発生します。
von Hippel-Lindau病と呼ばれる、小脳血管芽腫・網膜血管芽腫・内臓腫瘍を合併する遺伝性の病気の部分症である場合と、小脳病変だけみとめる孤発性のものがあります。
多くの場合嚢胞をともないます。

病変や嚢胞が増大した場合病変周囲の小脳や隣接する脳幹の機能低下が起こります。さらに大きくなり脳幹下部の延髄の圧迫症状が強くなると、感覚障害のみならず麻痺・意識障害から最終的には生命中枢に影響が及んで生命に関わります。

また小脳の中心部には第4脳室と呼ばれる脳脊髄液の通過路があります。病変や嚢胞の増大により第4脳室が潰れた場合脳脊髄液が上位の脳室(側脳室・第3脳室)に貯留し急性水頭症をきたし生命に関わります。

特徴として腫瘍を栄養するはっきりとした流入血管と流出血管をみとめ、血管撮影上は動静脈奇形(AVM)のような所見です。

延髄背側の血管芽腫の症例

延髄背側の血管芽腫の症例
左延髄背側に結節状の腫瘍本体がある

周囲には液体が貯留した嚢胞をともなっている

周囲には液体が貯留した嚢胞をともなっている

説明のため、一定のフレームレートで撮像した後に、開始から29フレーム毎に色相環で-30度ずつ色相を加算しています。

左後下小脳動脈からの栄養血管は結節状の腫瘍本体へ血液を供給している。
腫瘍本体は動脈相から静脈相に至るまで均一に濃染され、血液がプールしている様子がわかる。
血流の豊富な腫瘍のため、摘出に際しては血管の処理が重要になる。

開頭腫瘍摘出術

根治的な摘出により治癒せしめられますが、流入血管と流出血管の適切な処理を行わないと、術中の出血コントロールが困難となり、摘出操作に難渋します。 摘出術のコンセプトはAVM摘出術に準じますのでchapter4(作成中)を参照して下さい。

著者紹介

坂本 真幸
名誉院長: 坂本 真幸
資格
脳神経外科学会専門医
脳卒中学会専門医
脳卒中の外科学会技術指導医
専門
脳血管障害(脳動脈瘤・脳動静脈奇形etc)
良性脳腫瘍,頭蓋底・脳深部腫瘍,下垂体・傍鞍部腫瘍
Janetta手術(三叉神経痛・顔面けいれん)
略歴
群馬県出身
2000年 東京大学医学部卒業、同大学脳神経外科医局 入局
2009年 医療法人社団新和会 西島病院 医長
2013年 同 院長
2023年 同 名誉院長