Chapter 3

下垂体・傍鞍部腫瘍Pituitary & Parasellar Tumor

病態

下垂体は脳の中心部に存在し、脳底部の視床下部とよばれる生命活動の中枢と下垂体柄とよばれる細い茎のようなものでぶら下がるように存在し、トルコ鞍とよばれる骨のくぼみのなかに収まっています。

下垂体からは下垂体ホルモンが分泌され、全身の内分泌器官に作用することで、生命活動や恒常性の維持に関わります。

下垂体は前葉と後葉の2つのコンポーネントで構成されており、前葉からは副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)、甲状腺刺激ホルモン(TSH)、成長ホルモン(GH)、乳汁分泌ホルモン(PRL)、濾胞刺激ホルモン(FSH)、黄体形成ホルモン(LH)が分泌され、後葉からは抗利尿ホルモン(ADH)が分泌されます。

副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)は副腎に作用して副腎皮質ホルモン(CS)の分泌を促します。
副腎皮質ホルモン(CS)は鉱質コルチコイドと糖質コルチコイドからなり、前者は電解質バランス(ナトリウム、カリウム)の調節、後者は代謝における同化作用や免疫系の調節に関わます。両者ともに適正に分泌されることで恒常性が維持され、生命活動に不可欠なホルモンです。

甲状腺刺激ホルモン(TSH)は甲状腺に作用して甲状腺ホルモン(T3、 T4)の分泌を促します。
甲状腺ホルモンは代謝のレベルを調節しますので、副腎皮質ホルモンと同様に適正に分泌されることで恒常性が維持され、同じく生命活動に不可欠なホルモンです。

抗利尿ホルモン(ADH)はその名前のとおり、腎臓における水の再吸収の調節を行うことで尿量を調節する作用があり、適正量が分泌されることで恒常性が維持され、同じく生命活動に不可欠なホルモンです。

成長ホルモン(GH)は成長期においては筋骨格系の成長に関わり分泌量が増量しますが、成人期においても適正量が分泌されることで、代謝における同化レベルを一定に保つ働きがあり、不可欠なものです

乳汁分泌ホルモン(PRL)、濾胞刺激ホルモン(FSH)、黄体形成ホルモン(LH)は女性の性周期の調節に関わり、周期における適正な分泌が必要です。

下垂体近傍には様々な腫瘍ができますが、代表的なものは

  1. Rathke(ラトケ)嚢胞
  2. 頭蓋咽頭腫
  3. 下垂体腺腫
  4. 髄膜腫

です。
4は鞍結節部髄膜腫に代表され、髄膜腫としての側面と傍鞍部腫瘍としての側面を併せ持ちます。 詳細は Chapter 1 を参照して下さい。

Rathke嚢胞・頭蓋咽頭腫 Rathke's Cleft Cyst & Craniopharingioma

病態

胎生期の遺残組織から発生した病変です。
発生の過程において、前葉と後葉の間には頭蓋咽頭管と呼ばれる上皮組織が一時的に形成され、下垂体と咽頭が形成されて分離すると消失します。
器官形成が終了した時点で、下垂体組織の中に本来消失すべき頭蓋咽頭管が消失せず、上皮組織が遺残した結果として本病変が生じます。

Rathke嚢胞(Rathke's Cleft Cyst)

Rathke囊胞では迷入組織は腫瘍性の増殖はきたさずに内部に液体を貯留させます。嚢胞が小さい場合は周囲への圧迫は軽微で無害なもので、無治療経過観察を行います。
嚢胞が大きい場合は周囲正常下垂体・視神経を圧迫することにより症候性となりますので、以下に述べますような経鼻的手術(TSS)により嚢胞の開窓を行い内用液を排出させることで、圧迫を解除します。

頭蓋咽頭腫(Craniopharingioma)

頭蓋咽頭腫では迷入組織が腫瘍性の増殖をきたすため、周囲組織を圧迫するとともに、周囲組織と強く癒着しながら増大します。
Rathke嚢胞に比べ症状が強いのが特徴です。
直上の視神経・視交叉に癒着・圧迫することによる視力・視野障害をきたすとともに、下垂体機能が徐々に失われ下垂体機能不全に陥ります。下垂体機能不全に対しては適切なホルモンの補充療法が行われないと生命に関わります。
鞍上部進展が進行し視床下部に癒着し強く圧迫するようになると意識障害をきたし、究極的には生命に関わります。
病変がトルコ鞍内に限局あるいは鞍上部にさほど進展していない症例では以下にのべますような経鼻的手術(TSS)により摘出できますが、ほとんどの症例では鞍上部進展や視交叉・視床下部との癒着が強いため、経鼻的手術では必要十分な操作空間が得られませんので開頭手術を行います。

下垂体腺腫 Pituitary Adenoma

病態

下垂体を構成する様々な細胞の一つが腫瘍化して増殖したもので、腫瘍細胞の性質によりホルモン産生下垂体腺腫と非機能性下垂体腺腫に大別されます。

前者はホルモンを産生する細胞が腫瘍化したもので、腫瘍が増殖するとともにホルモンを過剰に産生しますので、ホルモンのバランスが崩れることによる症状を呈します。
産生するホルモンの種類によりプロラクチン(PRL)産生腫瘍、成長ホルモン(GH)産生腫瘍etcと呼び、経過も異なります。

後者はホルモンを産生しない腫瘍でゆっくりと増大し、周囲の正常構造物を圧排することにより徐々に神経脱落症状を呈します。
典型的には両耳側の視野が障害されて視野が徐々に狭くなる両耳側半盲とよばれる症状を呈します。

機能性下垂体腺腫 Functioning Pituitary Adenoma

プロラクチン(PRL)産生下垂体腺腫(PRL producing pituitary adenoma)

下垂体ホルモンのひとつであるプロラクチンを産生する細胞が腫瘍化して増殖しています。そのためプロラクチンが過剰に分泌されている状態です。
プロラクチンは乳汁分泌ホルモンとも呼ばれ、女性の性周期の調節に関わります。プロラクチンが過剰に分泌されると月経不順や不妊の原因となります。
かかる主訴で婦人科を受診してプロラクチン高値を指摘され、本疾患を疑い脳神経外科に紹介されるケースがほとんどです。

治療

かつては経鼻的手術(TSS)による摘出が行われていましたが、ほとんどの症例はカベルゴリンの内服によりプロラクチン値の正常化と腫瘍の縮小・消失が得られます。
カベルゴリンは作用時間の長い薬で1週間に1回内服するだけですので、患者様の負担も軽く良い薬です。再発の問題がありますので、腫瘍の消失後も一定期間内服を継続してから内服を止めるのが一般的です。 内服治療の効果がみられなかったり、即時根治を希望される症例に限り経鼻的手術を行います。

成長ホルモン(GH)産生下垂体腺腫(GH producing pituitary adenoma)

下垂体ホルモンのひとつである成長ホルモンを産生する細胞が腫瘍化して増殖しています。そのため成長ホルモンが過剰に分泌されています。
当然ですが、成長ホルモンは成長期には分泌量が増えて身長・体重の増加や筋骨格の形成などに働きます。
本疾患のため成長期以後に成長ホルモンが過剰に分泌され続けると、成長期のような骨格の伸長は起こらずに、以下に述べるような顔貌や骨格の変化をきたします。
主に骨の末端部が大きくなる「末端肥大症」という状態で、特有の顔貌(あご・頬・額の病的な突出)を呈するとともに、手・足の皮下組織が分厚くなりグローブのような手になります。
話を聞くと「徐々に靴や指輪のサイズが大きくなった」などと訴えられます。
舌や咽頭の軟部組織が肥厚し、いびきや睡眠時無呼吸の原因となります。

成長ホルモンの過剰分泌は上述の外見上の変化のみならず、体内物質の代謝の視点でみると「同化」を亢進させます。
「同化」というのは難しい表現ですが、そもそも体内物質の代謝は「異化」か「同化」に分類します。簡単にいうと「異化:消費する」か「同化:蓄える」かということで、成長ホルモンの働きを端的に表現すると、体内物質を「蓄える」方向に働くのです。
そのため、耐糖能低下による糖尿病、脂質の蓄積によって引き起こされる動脈硬化などから脳卒中や虚血性心疾患の発症リスクが高くなります。他にも心臓弁膜症・睡眠時無呼吸といった様々な内科的合併症をきたします。
そのため、GH産生腫瘍の患者様は無治療のままだと平均寿命が15年程度短いと言われています。

治療

成長ホルモン産生腫瘍の場合、プロラクチン産生腫瘍と違って、カベルゴリンの様な著効を示す薬物がありません。比較的効果があるのはソマトスタチン誘導体とペグミソマント(成長ホルモン受容体拮抗薬)ですが、単独では不十分であり補助療法の域を出ません。
治療の主体は経鼻的手術(TSS)であり、鞍上部や頭蓋底に大きく進展した症例に対しては開頭術を併用して腫瘍を摘出します。
治療効果が得られるためには、成長ホルモンレベルの正常化、IGF-1値の正常化(GHが働くために必要な物質)、耐糖能の正常化(75g OGTTの正常化)の3つの評価項目があり(Cortina Consensusといいます)、腫瘍の摘出度が高いほど評価項目をクリアしますので、できるだけ残存がないように摘出することが理想です。
残存腫瘍のためにCortina Consensusの基準をクリアしない場合は、ソマトスタチン誘導体・ペグミソマントによる補助療法を行います。
カベルゴリンの内服はソマトスタチン誘導体・ペグミソマントの効果が見られない症例に対して効果がみられることがあり、症例によっては内服を検討します。

非機能性下垂体腺腫 Non-Functioning Pituitary Adenoma

病態

下垂体を構成するホルモンを産生しない細胞が腫瘍化したものです。ゆっくりと増大し周囲の正常構造物を圧排することにより徐々に神経脱落症状を呈します。

またトルコ鞍内にある正常な下垂体は多くの場合圧排されて非常に薄くなっており、放置すれば正常な下垂体の機能が損なわれ下垂体機能不全になります。

下垂体の上には視交叉という左右の視神経が交差する場所があり、腫瘍が増大すると、これを上に圧迫することになり、典型的には両耳側の視野が障害されて視野が徐々に狭くなる両耳側半盲とよばれる症状を呈します。

下垂体の両側には海綿静脈洞と呼ばれる場所があります。この中には脳を栄養する最大の血管である内頚動脈、目を動かす動眼神経・滑車神経・外転神経、顔面の知覚を司る三叉神経が分布します。
腫瘍が海綿静脈洞に浸潤すればこれら神経が次々と障害されます。

圧迫が脳底部に及べば最終的には意識障害に陥り、究極的には生命に関わります。

巨大な下垂体腺腫の症例
巨大な下垂体腺腫の症例
視神経の圧迫
視神経の圧迫
鞍上部進展・脳底部の圧迫
鞍上部進展・脳底部の圧迫

経鼻的下垂体腫瘍摘出術 Trans Sphenoidal Surgery: TSS

原則

下垂体が存在するトルコ鞍の底面は蝶形骨洞と呼ばれる副鼻腔の一部になっています。蝶形骨洞は自然孔を介して鼻腔とつながるとともに広大な副鼻腔の一部を構成しています。

下垂体・傍鞍部腫瘍に対しては、蝶形骨洞という元々存在する空間をワーキングスペースとして利用することで開頭をせずに腫瘍の摘出を行うことができます。
ただし、全ての症例がTSSのみで満足できる摘出度が得られるわけではありません。

鞍上部進展が軽度で海綿静脈洞浸潤がみられない症例は、基本的にトルコ鞍内の操作のみで腫瘍が全摘できますので、最もよい適応です。

軽度の鞍上部進展 良い適応
軽度の鞍上部進展 良い適応
鞍上部に大きく進展 意図的・段階的TSSを検討
鞍上部に大きく進展 意図的・段階的TSSを検討

鞍上部進展が見られる場合は意図的に2回に分割して手術を行うことがあります。

鞍上部に大きく進展
鞍上部に大きく進展
上下に分割
上下に分割

初回手術で腫瘍の下半分に相当するトルコ鞍内の腫瘍を摘出します。上半分に相当する鞍上部は無理に摘出しません。

トルコ鞍内のみ摘出
トルコ鞍内のみ摘出
支えを失った鞍上部成分
支えを失った鞍上部成分

経過観察を半年ほど行うと、鞍上部に進展していた腫瘍は下半分の支えを失うため、特に腫瘍の性状が柔らかくある程度の流動性がある場合はトルコ鞍内に下降してきます。

トルコ鞍内に下降
トルコ鞍内に下降
2回目のTSSにて全摘出
2回目のTSSにて全摘出

このタイミングで2回目のTSSを行います。トルコ鞍内は安全な操作が可能ですから、初回TSSと同様の操作を行えば、鞍上部の操作を行わずに全摘出が可能になります。
このように意図的に手術を2回に分けて行うことで、操作の不確実性が高くなる鞍上部の操作を回避できるため、鞍上部進展があり腫瘍の正常が柔らかいものについては意図的・段階的TSSを行います。

方法

右鼻腔より進入し中鼻甲介対面の鼻中隔を切開偏移させて蝶形骨洞とよばれるトルコ鞍直下の副鼻腔に入ります。

トルコ鞍底の骨を1cm四方取り除きます。トルコ鞍の硬膜を切開すると腫瘍が見えてきます。一般的に腫瘍は柔らかく正常下垂体は硬いため硬さの違いを利用してキュレットとよばれるリング状の機械で掻き出すように腫瘍を摘出します。

開頭術と比較すると術野が狭いですので摘出範囲には限界があります。術野の奥に相当する鞍上部や脳底部は操作の不確実性が増すため、無理な摘出操作は控えます。
術野の両側が海綿静脈洞に相当しますが、海綿静脈洞に浸潤した腫瘍についても外側のblind spotとなり、鞍上部と同様に操作の不確実性が増すため、無理な摘出操作は控えます。

トルコ鞍内の十分な摘出が行われれば操作を終了します。

TSS後の残存腫瘍に対して

TSS後に残存した腫瘍に対しては、腫瘍の種類により対処が異なります。

非機能性下垂体腺腫の場合、視神経・視交叉の圧迫が解除され下垂体機能が維持されていれば。全摘出に拘らず経過観察を行います。

GH産生腫瘍・頭蓋咽頭腫の場合、摘出度が高ければ高いほど治療効果が見込まれますので、残存腫瘍に対しては再度のTSSや開頭術を検討します。
GH産生腫瘍の場合は残存する腫瘍が少なければ少ないほど、成長ホルモンの産生量が減少してCortina Consensusの基準をクリアする見込みが高いからです。
頭蓋咽頭腫の場合は残存するとしつこく再発します。再発腫瘍は機能的に重要な脳底部の構造物と癒着して、徐々に機能を蝕んでゆきます。そのため残存腫瘍が少なければ少ないほど、無再発生存期間が長くなるからです。

TSS後の残存腫瘍は上述のごとく、鞍上部進展・脳底部との癒着・海綿静脈洞浸潤など、TSSのワーキングスペースの死角に相当する部位に存在します。
そのため、以下に述べるような安全確実なワーキングスペースが確保できる、頭蓋底手術を行います。

鞍上部進展・海綿静脈洞浸潤をきたした下垂体・傍鞍部腫瘍に対する頭蓋底手術 Skull Base Surgery for Suprasellar Extension & Cavernous Invasion

安全なワーキングスペースの確保のために

TSSは開頭せずに腫瘍摘出が行える画期的な方法なのですが、外側の視野・深部の操作が制限されます。
鞍上部進展・脳底部との癒着・海綿静脈洞浸潤などに対しては、安全確実なワーキングスペースが確保できる、頭蓋底手術を行います。
はじめに、TSS=鼻から行うから安全、開頭=頭を開けるから危険と言う風には考えないで下さい。
安全確実な操作を、必要十分なワーキングスペースで行うため、鞍上部進展や海綿静脈洞浸潤に対しては開頭を行ってワーキングスペースを確保すると考えて下さい。
どんな手術でも基本となる個々の操作は同じです。

頭蓋底手術

トルコ鞍近傍(傍鞍部)の底面を形成する蝶形骨はChapter 1で述べた錐体骨とともに頭蓋底を構成する重要な構造物です。
名前のごとく頭蓋底の中央部で「蝶」が羽根を広げた形をしており、トルコ鞍は「蝶」の胴体に相当する部位です。
「蝶」の羽根に相当する部位はChapter 2で述べるように、前床突起を付け根としてこめかみの真裏に延びつつ、前頭葉・側頭葉境界部の底面の骨となっています。
したがって、開頭を行って傍鞍部の操作を行う場合、「蝶」の羽根から胴体にたどり着くようにアプローチします。
具体的には、こめかみを中心とした前側頭開頭に眼窩縁・頬骨の骨切りを追加したOrbito-Zygomatic Approachと呼ばれる方法です。
加えて内頚動脈と視神経が頭蓋内に陥入する部位を隔てている、蝶形骨の隆起である「前床突起」を削除することで、傍鞍部の安全な操作に必要十分なワーキングスペースが確保されます。

Orbito-Zygomatic Approachと前床突起削除

鞍上部進展した傍鞍部腫瘍
鞍上部進展した傍鞍部腫瘍
Orbito-Zygomatic Approach
Orbito-Zygomatic Approach
前床突起を削除後
前床突起を削除後

Orbito-Zygomatic Approachと前床突起削除は汎用性の高い手術アプローチです。
巻頭ページでも述べましたが、傍前床突起部に形成された内頚動脈瘤に対しても同様のアプローチで処理できます。

大型の傍前床突起部内頚動脈瘤
大型の傍前床突起部内頚動脈瘤
Orbito-Zygomatic Approach
Orbito-Zygomatic Approach
前床突起を削除後
前床突起を削除後

これはよく考えると当たり前なのですが、前のセクションの頭蓋底の動画を思い出してみると、トルコ鞍の両脇は海綿静脈洞内を走行する内頚動脈です。
直ぐ遠位で前床突起の裏から真上に立ち上がって、頭蓋内の内頚動脈となります。
頭蓋内内頚動脈は遠位で中大脳動脈・前大脳動脈を分岐し、下垂体を取り囲むようにWillis動脈輪を形成します。
脳動脈瘤のほとんどはWillis動脈輪に発生しますから、脳動脈瘤に対するクリッピング術と傍鞍部腫瘍に対する摘出術の操作空間は途中まではほぼ同じであり、手術アプローチはほとんど共通化されます。
脳動脈瘤手術は脳神経外科手術の中でも最も頻度が高く脳神経外科手術の代名詞といえます。いわば、基本中の基本です。
翻って「傍鞍部腫瘍」や「傍前床突起部内頚動脈瘤」は頻度も少なく俗に「難しい手術」といわれますが、動脈瘤手術という共通化されたツールに、本病変固有の解剖学的特徴を加味した、術野の拡大(頬骨・眼窩縁の骨切りと前床突起削除)を加えているに過ぎず、増えた手順を正確に遂行するのに時間を要しますが、さほど困難なものではありません。

斜台部腫瘍 Clival Tumor

斜台部

「斜台」はトルコ鞍に連続し、前縁は下垂体が収まる頭蓋底の窪みである「トルコ鞍」の背中に相当する「トルコ鞍背・後床突起」、両側は脳幹から分岐した脳神経が貫通する「錐体骨」に挟まれ、下縁は頭蓋脊椎移行部にあたる「大孔」に至ります。
「斜台」の上に脳幹が横たわり、両側に脳神経が分岐して「錐体骨」を貫通しています。
「錐体骨」は脳神経のうちV~XII脳神経が通過しており、顔面の知覚・運動・聴覚・平衡感覚・嚥下機能・舌の運動に関わります。

トルコ鞍の両脇を形成する「海綿静脈洞」は脳底部・頭蓋底の血液が還流する静脈の一部であるとともに、内部に大脳の外側2/3を栄養する「内頚動脈」と眼球運動に関わる「III, IV, VI脳神経」が貫通する、複雑な部位です。
「斜台」の上外側縁が「海綿静脈洞」の後壁に相当し、この部位を貫通するのは「VI脳神経(外転神経)」です。 「III, IV脳神経」は「前床突起」と「後床突起」を結ぶ硬膜の襞である「テント切痕」の中程から順次海綿静脈洞内に入ります。

斜台部腫瘍の鑑別診断

斜台近傍には様々な骨原発腫瘍・腫瘍類似疾患が発生しますが代表的なものは、

  1. Chondrosarcoma(軟骨肉腫)
  2. Chordoma(脊索腫)
  3. Fibrous Dysplasia(繊維性骨異形成症)

です。

これらの病変は画像所見が似通っていますが、特に1. Chondrosarcoma(軟骨肉腫)2. Chordoma(脊索腫)は画像所見が酷似しており、画像診断のみでの鑑別は実質的には不可能です。 手術によって採取した組織を顕微鏡で観察し病理組織学的特徴から鑑別する病理診断が不可欠です。

Chondrosarcoma(軟骨肉腫)とChordoma(脊索腫):鑑別の重要性

組織学的には①は4種類、②は3種類の亜型があります。

1. Chondrosarcoma(軟骨肉腫)
1-1. Myxoid(粘液様型)
1-2. Hyaline(硝子様型)
1-3. Mixed myxoid & Hyaline(粘液様硝子様混在型)
1-4. Mesenchimal(間葉型)

2. Chordoma(脊索腫)
2-1. Conventional(通常型)
2-2. Chondroid(軟骨様型)
2-3. Dedifferentiated(未分化型)
特に1-1と2-2との鑑別は通常の病理診断でも区別が難しく、更に免疫組織学的診断を加味して行われます。

何故、そこまで区別が困難な両者を鑑別するかというと、両者で生命予後が全く異なるからです。
厳密には1. のうち
1-1~3のものはconventional chondrosarcoma(通常型軟骨肉腫)と呼び、生命予後が極めてよいものです。
1-4は未分化型ともよばれ、増殖能、浸潤・転移傾向が高く非常に悪性のものです。いかなる治療にも抵抗性で全く別の疾患と捉えた方が良いでしょう。

以下、chondrosarcoma(軟骨肉腫)をconventional chondrosarcoma(通常型軟骨肉腫)と同義としますと、Chondrosarcoma(軟骨肉腫)は5年局所制御率・10年局所制御率、5年生存率・10年生存率は無治療にてほぼ100%です。
対してChordoma(脊索腫)では5年生存率約50%、10年生存率約35%です。
->Rosenberg, Andrew E et al.
Chondrosarcoma of the base of the skull:
a clinicopathologic study of 200 cases with emphasis on its distinction from chordoma
Am J Surg Pathol 1999 Nov;23(11):1370-1378

軟骨肉腫は「肉腫」の名前がついていますが、「軟骨腫」と比べた場合の「細胞密度・核分裂像の程度」「壊死像・粘液器質の存在」といった組織学的特徴で区別しているに過ぎません。
conventional chondrosarcomaに限ると、増殖・浸潤することはほとんどなく、きわめて良性の経過を辿ります。
組織学的には悪性なのですが、臨床的には良性といえます。
脊索種は後述のように局所再発を繰り返しながら脳神経・脳幹機能を障害し究極的には致命的です。
組織学的には良性なのですが、臨床的には悪性といえます。

Chondrosarcoma(軟骨肉腫)

軟骨組織が腫瘍化したもので、軟骨組織が存在する全身骨のいずれからも発生します。多発性内軟骨腫症(Mafucci症候群、Ollier病)の部分症としてみとめる場合と、孤発性のものがあります。
軟骨肉腫自体非常に稀な疾患で、頭蓋原発は更に稀です。
頭蓋原発の軟骨肉腫に関しては最多のシリーズと思われ、文献考察をまとめた以下の論文を引用します。
->Arthur C G C Korten et al.
Intracranial chondrosarcoma: review or the literature and report of 15 cases
J Neurol Neurosurg Psychiatry 1998;65:88-92

  • 発症時平均年齢:37歳
  • 男女比=1:1.1
  • 発症:複視・動眼神経麻痺(51%) 最多症状
  • 発生部位:錐体骨(37%) > 斜台(23%) > 蝶形骨(20%) > 円蓋部(14%) > 硬膜(6%)
  • 良性(conventional):悪性(mesenchimal)= 約7:3

Chordoma(脊索腫)

「脊索」とは個体発生の胎生期に「脊椎」の原基として形成され、脊椎が形成されると消失します。
「脊索」自体は個体発生のある時期に重要な役割を果たすのですが、この組織が出生後にも遺残し腫瘍性の増殖を来すようになったものが本疾患です。
上述のように「脊椎」の原基ですので、脊椎に隣接した正中線上に発生します。好発部位は斜台部、軸椎(第2頚椎)前方、仙骨部です。
上述のように、「細胞密度・核分裂像」「壊死像」といった組織学的な悪性所見に乏しく、physaliphorous cell(担空胞細胞)という特徴的な細胞、免疫染色にてvimentinが陽性(chondrosarcomaでは陰性)などで軟骨肉腫と鑑別します。
臨床的には上述のように、斜台部の骨を破壊し浸潤性の発育をします。
初発症状は腫瘍に一番近い第VI脳神経(外転神経)の機能障害であることが多く、腫瘍の進展とともに海綿静脈洞を通過する第III脳神経(動眼神経), 第IV脳神経(滑車神経)障害を合併し、眼球運動が障害されることによる複視がみられるようになります。
海綿静脈洞内には顔面の知覚を司る第V脳神経(三叉神経)が存在しますので、機能障害による顔面の知覚障害がみられるようになります。
腫瘍が斜台下部や両側の錐体骨に進展すると脳幹から錐体骨に向かって分岐する第VII~XII脳神経が次々と障害され、顔面神経麻痺、嚥下障害をみとめるようになります。
斜台後方の硬膜を超えて脳幹に影響がおよぶようになると、脳幹内部の錐体路、内・外側毛帯障害にともなう片麻痺・感覚障害や網様体障害による意識障害に陥り究極的には生命に関わります。
外科的な摘出術を行っても、頭蓋底骨に浸潤していますし、斜台・錐体骨の機能的重要性から根治的摘出に至らないケースがほとんどで、残存病変からの再発・進展を繰り返しつつ、上述のごとく脳神経・脳幹機能を蝕んでゆきます。

最適な治療法とは?

過去においては頭蓋の側方から広範囲の頭蓋底骨削除を行い、硬膜切開を行い頭蓋内経由で十分なワーキングスペースを確保し根治的な摘出を目指していた時代もありました。
しかしながら、頭蓋底手術の侵襲が高い点、本来硬膜外に存在する本病変に対し、摘出操作のために硬膜を切開することは、頭蓋内に対してバリアの役割をはたす硬膜をわざわざ破壊して頭蓋内進展を早めているに過ぎないとの反省から、頭蓋底手術の選択は腫瘍の進展範囲を考慮しつつも限定的なものになっています。
頭蓋底手術に替わり、低侵襲な内視鏡手術が主流となりつつあります。
内視鏡手術は下垂体腫瘍に対して、従来の顕微鏡手術の視野における死角となる病変の観察・摘出を可能にしつつ、治療成績の向上に寄与しました。
斜台は上述のようにトルコ鞍の後下方につながる構造物ですので、下垂体腫瘍に対する手術のトラジェクトリーとほぼ同一の操作が可能です。
鼻腔・副鼻腔という元々存在するワーキングスペースをそのまま利用できるため、頭蓋底手術のようにワーキングスペースの確保のために外側を構成する正常な頭蓋底骨を削除する必要がなく、それにともなう脳神経障害のリスクもなく低侵襲な治療法です。
ただし、頭蓋底手術はダメで内視鏡手術が良いと言うわけではありません。大きく外側に進展した症例では内視鏡の観察限界を超えますので頭蓋底手術がなくなることはありません。
あくまで、患者様の神経機能の温存と低侵襲を第一とし、腫瘍の進展範囲から最もスマートに最大限の摘出が得られる方法を選択することが重要で、手術法は個別の検討が必要です。
そして、いかなる手術法でも残存をゼロにすることはできませんので、残存病変に対する増殖を制御するための後療法を検討する必要があります。
後療法として現時点で確立しているのは放射線治療ですが、そもそもchordomaは放射線感受性はあまり高くありません。線源に関しても通常の放射線治療ではなく、重粒子線治療が現在のところ標準的に最も推奨される治療法ですが、5年局所制御率は60%程度といわれています。
他にガンマナイフ・サイバーナイフといった定位放射線治療も行われており、概ね同程度の局所制御率を報告する論文が多いのですが、疾患自体の稀少性・後療法前の状態が個々の症例で大きく異なりますので、個別の検討が必要でしょう。
最後に強調したいのはchordoma, chondrosarcomaともに稀少疾患であるため、一般の脳神経外科医は対応するための十分な知識がないことが多いのです。
そして、chordomaとchondrosarcomaはその類似性・無理解から過去においては同一の治療法が選択されていたり、そういったシリーズの論文も散見されます。
特に、conventional chondrosarcomaにおいては無治療経過観察でもほぼ10年間無増悪で生存可能なのにも関わらず、5年で半数が死亡するchordomaと同一に扱われ、可及的摘出+重粒子線治療という不必要な放射線治療が行われてしまうことがないように、患者様に知識を持って頂きたいと思う次第です。

Fibrous Dysplasia(繊維性骨異形成症:以下FDと略)

本病変は若年例が多く、腫瘍性病変ではありません。
基礎的な知識として、骨の形成に関する知識が必要です。
骨は鉄筋コンクリートに例えることができます。つまり、繊維成分の器質(鉄筋)にカルシウム(コンクリート)が沈着することで丈夫な骨格を形成します。
FDは比較的稀な疾患で若年者に多く全身のいずれの骨も侵します。FDの場合、上述のような器質とカルシウムのバランスがとれた、正常な骨構造が構築されず、繊維成分が異常に増生し未熟な骨を形成します。
全身の色素沈着・内分泌異常を特徴とするMcCune-Albright症候群に合併する全身性のものと、限局した部位の骨に生じる孤発性のものがあります。
頭蓋骨は前のセクションで詳しく説明しましたように①円蓋部と②頭蓋底部では解剖学的ならびに機能上大きな差異があります。
①の部分に発生した場合、頭蓋が膨らんできて美容上の問題となります。これに対しては異常な骨を削除・掻爬して健常側と左右対称になるように形成します。
②の部分に発生した場合、病変の進展範囲に応じて脳神経の障害が数%程度にみられるといわれ、頭蓋底骨の減圧手術が必要になります。頭蓋底部の減圧手術は周囲に重要な脳神経・血管がありますので、複雑かつ時間を要します。
したがって、美容上 and/or 神経機能上の問題がなければ、治療の対象にはなりません。
一般的に異常な骨の増生は20歳台で停止するといわれていることとあわせて、増生が停止するまでに神経の障害が見られない限りは経過観察を行い、これら症状が出現した場合は神経に対する減圧手術を行います。

著者紹介

坂本 真幸
名誉院長: 坂本 真幸
資格
脳神経外科学会専門医
脳卒中学会専門医
脳卒中の外科学会技術指導医
専門
脳血管障害(脳動脈瘤・脳動静脈奇形etc)
良性脳腫瘍,頭蓋底・脳深部腫瘍,下垂体・傍鞍部腫瘍
Janetta手術(三叉神経痛・顔面けいれん)
略歴
群馬県出身
2000年 東京大学医学部卒業、同大学脳神経外科医局 入局
2009年 医療法人社団新和会 西島病院 医長
2013年 同 院長
2023年 同 名誉院長